2009年04月03日

へそまがりの虫

3月30日(月)午前11時37分。大師匠が天に召されました。
露の五郎兵衛。本名・明田川一郎。3月5日に77歳になったばかりの私の愛してやまない師匠です。

大師匠のことは昔から朝ドラなどで知っていました。それから落語の本を読み、是非一度見てみたいと思い京都市民寄席へ行ったのが高校2年の時。
高校を卒業後、大師匠の四番弟子の師匠・団四郎に入門。内弟子を希望していた私に団四郎師匠は大師匠のところで修行兼用心棒(?)を提案し、大師匠のもとへ預けてくれはりました。

2005年8月大師匠のご自宅へ引越し、大師匠・おかみさん・私との3人での生活が始まりました。私が車を運転できるのを喜んで大師匠は車を買い、どこでも一緒に車で行きました。
ネタは大師匠が前座のころにやってはったネタや、「鉄拐」などの珍しいネタ。それから「西遊記」など私の性格にあわせたものを教えてくださいました。それから私が聖書を読んだことがあるのを知り、クリスチャンでもある師匠は、信仰のことをいろいろ語ってはりました。

ネタや弟子としての思い出もいろいろありますが、何より私は大師匠の人間性にたくさんのことを学びました。

まず大師匠は私が「何があっても助けを求めたら必ずなんとかしてくれる」という絶対的な信頼をおける唯一の存在でした。詳しくは書けませんが、本当に私がピンチの時、あの手この手で必ず助けてくれはるのです。
そんな人間、いますか?私は高校を卒業するまで信頼と裏切りを繰り返し、本当に信用できる人間はいないと思い、そんなものはとうの昔に諦めていたのです。
しかし、大師匠だけはそうではありませんでした。その精神の存在に驚きを隠せませんでした。

そんな人間味があるのに舞台ではチョット“ワル”な遊び心。プライベートは可愛らしい大師匠を愛さずにいられますか?
落語はもちろんうまくなりたいですが、何より大師匠のような立派な精神、心の持ち主になりたいです。

その大師匠の亡くなられた経緯をお話します。
2月はじめ。大師匠が階段から転びはって骨折しはりました。
最初は骨折と判らず、2月後半に体調が悪くなり入院。骨折と判りました。最後の舞台は入院前日の2月22日(日)あみだ池寄席にて「紀州」です。
入院されてからも普通にお元気でした。3月後半になってから少し食欲が落ちてきはりました。
「まるこ、みたらし団子」
と言うてはったので食欲が出てきた!と喜び買うていきましたが結局食欲がわかないと言い、食べはりませんでした。
3月25日。おかみさんとごはんを食べさせに行きました。
いつも誰か1人が食事係ですがおかみさんと私、2人で行っても食べたくないといわはりました。
おかみさんが「師匠!ごはん食べな舞台でられへんで!」と怒ってみはりました。
師匠は「そんなこと言わんとって」と言わはりました。
帰りしないつも強気なおかみさんが「私は師匠にキツイやろか・・・。」と落ち込んではりました。しかし、弟子には弟子の、おかみさんにはおかみさんしかできない励まし方があるので落ち込まないで下さいと励ましました。おかみさんも予感していたのでしょうか。
亡くなる前日の29日。朝病院から電話があり、一門の師匠がたがかけつけました。私はどうしても仕事でいけませんでした。
夜おかみさんに電話したら「大丈夫やで!落ち着いてるわ。明日また一緒にお見舞い行こ。」と言われました。
当日の30日朝6時半。病院から電話がありかけつけました。奇跡的に一門、ご家族、お孫さんが全員集合しました。
病院につくと目だけ動いてはって受け答えはできませんが、話しかけると目で頷かはるようでした。
最初は「頑張ってください!」「まだ生きてください!」とみんなで言うていましたが、10時ごろには「こんなに苦しそうならこのまま苦しみつづけはるより早く楽になって欲しい・・・」と思えてきて、それぞれが「師匠、もう安心してください」「苦しまなくていいですよ」「ありがとうございました」「大好きですよ」と言いました。
11時。点滴が少なくなりました。
おかみさんがお医者さんに「点滴、これが切れたら交換はいりません。鼻のチューブもはずしてください。」と言わはりました。
11時半。医療器具をはずしました。楽になりおだやかな顔になる反面、あらゆる数値が下がってきました。
大師匠の娘さんが枕元で聖書を読み出しました。すると、意識不明の
大師匠の両手が動き、お祈りのポーズをとろうとしたのです。
急いでみんなで手伝い、しっかりとポーズを作りました。
そして娘さんが聖書を読み終わると同時に、スッと魂が抜けた感じがしました。11時37分。亡くなりました。
大師匠はクリスチャンです。天国へ行くのです。私たちは悲しいですが、大師匠にとっては喜ばしきこと!記念に大師匠を囲んでみんなで写真をとりました。

それから黒紋付・袴を着せて大師匠と一緒にみんなで帰宅。
ほがらかなお顔つき、可愛らしい表情で眠ってはりました。

そして昨日、密葬の日。納棺の前に大師匠とたくさん記念撮影をしました。ピースをしたり大師匠のホッペにキスしたり、ホンマに怒られそうです(笑)
納棺。みんなで思い出の品を入れました。私は大師匠最後の言葉が「次来るとき純露(飴)買うてきてな」と言われたので純露を入れました。お花は大師匠の足元にも及ばない私なのでせめて足元に及べるようにと足元に入れました。
納棺がすみ、出囃子で出棺。火葬。骨壷に入りはりました。
昨日の夜、直弟子の師匠方が帰りはったので、ひとり大師匠の骨壷を抱くと、何を思い出すわけでもなくただただ「大好きやった・・・」と思いました。

亡くなられたときそのご遺体を「魂の入れ物」と感じましたが、数日たって今思うことを書きます。

本来大師匠の体は5年前に亡くなっても全くおかしくない体でした。生きてるのが不思議なくらいでした。

大師匠の川柳に「へそまがりの 虫を一匹 飼っている」というのがあります。

大師匠の本名の明田川一郎という方は、本当に穏やかな優しい方でした。おそらくこの本名の大師匠の体はもう何年も前に亡くなっていたと思います。
そしてへそまがりの虫はまぎれもなく芸人・露の五郎兵衛です。
もう死んでいておかしくない体で、へそまがりの虫が生きていたのです。
へそまがりの虫が天国へ行ったので、肉体も本来の形に戻りました。

大師匠の一番好きな聖書の言葉に、ヨハネ11章25節

「わたしはよみがえりです 命です わたしを信じる者は死んでも 生きるのです」

大師匠に分けていただいたへそまがりの虫を今度は教えを頂いた私たち自身の体の中で殺すことなく大切に育て、守っていくことが大師匠への礼儀をつくすことだと感じています。

私個人として正直に言うてしまえば人間ですから大師匠が亡くなって悲しいです。寂しいです。不安です。心の拠り所を失いました。

しかし、大師匠自身は天国へ召されたのです。いままで大変な苦労をされたぶん、天国でおいしいものをいっぱい食べて、綺麗なお姉ちゃんにいっぱいチョッカイかけて遊んでいただきたいです。

あとのことは任せてください。大師匠の愛したおかみさんを、大師匠の分もこれからもっと大事にします。

このブログをお読みの方、大師匠のファンのかたが沢山いはることと思いますが、とりあえず大師匠の召天記念にお話させていただきました。
これからも頑張りますので、応援よろしくお願いいたします。

露の団姫
posted by まるこ at 14:50| 兵庫 ☁| Comment(26) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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